第1話「発達障害の診断を受けた3歳の頃」

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 わーぐです、こんにちわーぐ。発達障害を持ってしまったアラサー男のコミックエッセイはーじまーるよー

 一言で言えば、僕は「まだ発達障害の理解が少なかった平成初期、かつ幼少期に発達障害の診断を貰った人間」です。そして、僕はこの事実に長年苦しまされてきました。子供の頃に診断を受けて幸せだったのか、大人になって生きづらさを感じて病院に行ったら診断を受けた方が幸せだったのかは、正直今でも分かりません。

 当時は症状の理解や認知がなかったため、ADHDやASD等の診断名はまだなく、広汎性発達障害(PDD)との診断でした。その背景には親の努力があったことを後で親から聞きました。

何故診断を貰ったのか

言葉の遅れ

 僕は、言葉の遅れや知能の遅れがありました。3歳になっても言葉を全く発さない、コミュニケーションをどこか拒絶する、絵本も読もうとしなかった僕を見かねた母親が、様々な病院を見て回って、最後に県内で一番大きな精神科に行き、ようやくPDDの診断を貰いました。

 当時は、1990年代で、まだまだ障害に対する風当たりが強かったり、発達障害という概念自体もほとんど知られておらず、「変わった子」「不思議ちゃん」として処理される時代でした。

知能も遅れていた

 実年齢は3歳ですが、知能が1歳程度しかなかったそうです。今で言う境界知能だったのだと思います。これは、知的障害と診断されるほどIQは低くありませんが、一般の人と比べるとどうしても…な状態です。気付かれない、もしくは器用に擬態できることも多く、どうしても福祉との狭間にも陥りやすいです。

長年障害があることを認められなかった

 このエッセイのテーマでもあるのですが、僕はこの発達障害を長年認めることができませんでした。受け入れることができませんでした。

 生まれつき体が弱い、病弱な子がいますよね。(実際は違うのですが)僕は、それが生まれつき知能が弱い、頭が悪いと思っており、実際に家族からは「おまえは生まれつき頭が悪いのだから」と言われ続けてきました。呪いの言葉として今でもこびりついています。そして、いつの日か僕は頭ごなしに発達障害から逃げ続けてきました。それを匂わす言葉を言われたら、親であろうが激怒して一切を拒絶しました。このあたりもエッセイとして書いていきたいですね。このブログのテーマでもありますから…

 このエッセイを通じて同じく障害を持っている方への共感、及び障害への理解が深まってくれれば、幸いです。わーぐでした。

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