わーぐです、こんばんわーぐ。発達障害を持ってしまったアラサー男のコミックエッセイはーじまーるよー
今回は過去シリーズです。実体験100%です。正直、書かなくて良いなら書きたくないような記事です。
僕は、3歳の頃に発達障害の診断を貰った(ちなみに、当時は症状の理解や認知がなかったため、ADHDやASD等の診断名はまだなく、広汎性発達障害(PDD)との診断でした)のですが、その背景には親の努力があったことを親から聞きました。
1.診断をもらうまで
僕は3歳になっても何か言葉を発することが無かった(=言葉のおくれ)ようで、この事態を重く見た母親により、定期検診、更には大きい精神病院まで赴き、ようやく広汎性発達障害との診断をもらったそうです。この当時は1900年代で、まだまだ障害に対する風当たりが強かったり、「変わった子」「不思議ちゃん」として処理される時代でした。そんな中、診断までこぎつけた僕の母親の努力を嫌でも思い知らされました。
逆に言えば、風当たりの強かった当時なのに診断される辺り障害や症状は本当に重いものだったのかも知れませんが、この真相は聞かないほうが良いかもしれません。
2.言葉の遅れと境界知能
僕が発達障害の診断を貰う直接的な要因となった言葉の遅れですが、そもそも普通の子は何歳言葉を話せるようになるの?と疑問も浮かび上がってきますよね。結論で言えば、普通の子は1歳で何か言葉を発するらしいです。早い子だと生後9ヶ月で何か意味のある言葉を発するようです。
なお、僕は3歳で診断を貰った当時は知能が1歳近くしかなかったようで、知能指数も平均より低かったらしく、現在で言う境界知能だったのかなと思います。知的障害と診断するほどIQは低くはないけど、他の子よりはIQが低い状態ですね。境界知能の子は福祉との境界にも立たされやすく、現在問題になっていますね。
それを物心付いた頃に聞かされたときは僕もショックでした。当事者や当事者の子供を持つ親御さんには申し訳ないことを書きますが、自分が他人と比べて明らかに頭が悪いと言われているような気がして、絶対に認めたくなかったです。
3.母親の努力
先述の通り、僕の母親はおかしいと思ってから様々な医療機関を全力で回ったそうです。最終的に都市部の大きな小児精神科へと回り、診断をもらったと聞きました。また、診断を貰った後は社会訓練をするために保育園への入園手続きをしたり、小学校に進学する際は支援学級に行かせるべきか相談をしたようです。この話は次の記事にて続くのですが、とにかく僕のために動いたのが嫌でも思い知らされました。
世の中には親ガチャなんていう言葉があり、SNSで見る同じ当事者の方々は親による暴力やネグレクトで更に荒んだり等した方が多いようですが、僕の場合は大当たりだと断言できる立場にいるようです。逆に言えば、これはACやダメ親に関しての記事は書けないとも言えますが。
このエッセイを通じて同じく障害を持っている方への共感、及び障害への理解が深まってくれれば、幸いです。
この記事がいいなと思ったらスターボタン及びはてブをしてくれたら励みになります!
それではまた次回の記事にて、わーぐでした。
コメント
親御さんの訴えがあったから診断があったのでしょうね。私は誰からも異常だと言われていないので。(普通だとは思われていませんが)